こども英語教室ベスティ Bestie English School

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スピーチコンテストについての雑感

近年、英語によるスピーチコンテストが各地で行われています。

小学生から参加できるものもたくさんあります。堂々と英語でスピーチを行うこと、本当に素晴らしいことだと思います。

 

一方で、個人的にいろいろと思っていることがあります。

 

スピーチコンテストで求められる能力って何なのでしょうか。大人や講師はどこまで手助けをして良いものなのでしょうか。

 

巷の英語教室のブログ記事や、伝え聞く話などでは、

「生徒が日本語で原稿を書き、それを講師が英訳して原稿を作成する。」
ということが珍しくないようです。

 

中には、日本語での原稿すら子供自身に作成させず、

「講師が質疑応答しながら、インタビューした内容をまとめて原稿にする。」

ということもあるようです。

 

もちろん、講師の手助けや助言などはあってしかるべきだと思うのですが、講師が作成したスピーチ原稿って、本当に子供たちの声なのでしょうか?

英語で原稿が書けないからといって講師が英訳する、しかも、本人の英語レベルを超えてまで精度の高い原稿にするということに、少なからず違和感を持ってしまうのは私だけなのでしょうか。
100%英訳したのではないにしても、講師が英語の文の型を作るとか、そういったことも同じです。

こういったことが全く問題なしとされていて、これらの原稿を使って評価されるというのであれば、それはスピーチの内容ではなくて、「決められたスピーチをどのように表現するか」という視点から評価されるべきコンテストであるはずです。内容で評価されるべきものではないはずです。だって、子供自身の作品ではないのだから。

 

でも正直、基準があいまいなコンテストも多いことが現実だと思います。

過去に英語コンテストに応募し、表彰された生徒もいるけれど、基本的に私のスタンスは「ちょっとしたアドバイスや修正」をしてあげるだけ。スピーチ原稿を考えるのも生徒。英訳するのも生徒。だから、明らかに背伸びした原稿にはなりません。私がアドバイスして英訳のお手伝いをするときも、その生徒自身が理解できない表現は一切使わないし、生徒自身から英文を口にするように質疑応答しながら引き出していく形にしています。文を作るのはあくまで生徒自身です。ご家庭で親や兄弟の助けを借りて書いてきた原稿の場合も見てすぐに分かるので、本人にどこまで自分で書いたのかを確認するとともに、本当に意味が分かっているのか、その構文を理解できているのかを確認します。そのうえで曖昧なようであれば、いくら素敵なスピーチに出来上がっていたとしても、本人の英語レベルまで下げさせます。

 

いくら堂々とスピーチしていても、説得力がある話し方をしていても、その生徒自身が自分で考えた言葉なのかどうかは伝わってきます。特に、いわゆる英語風の発音をしているスピーチを聞くと、「原稿も先生が考えて、それを丸暗記したんだろうなぁ・・・」っていうのが何となく分かります。そこまで明らかな場合には表彰者としてそもそも選ばれないでしょうけれど。

もし、「いかに英語を堂々と話せているか。聞き手に伝わる話し方をしているか。」等が審議する基準なのであれば、その基準を公表してほしい。そのうえで、だから英文原稿が100%本人の作品でなくても構わない旨を公表してほしい。

そうではなくて、原稿の内容そのものも評価対象になるのであれば、「本人が原稿を作成すること」という注意書きを入れてほしい。

 

過去にこういったコンテストに入賞してきた私の生徒たちは、自分の言葉で自分の想いを綴っていました。それらを素直に評価していただいていました。

でも近年は、以前フランチャイズの教室として参加していたコンテストでの様子も年々様変わりしてきてしまっていました。

そして、耳に入ってくるのは、他校では「先生が原稿を作った」「かなりの部分を手伝った」という話。

 

コンテストというような形ではなく、様々な場で発表する機会をということであれば、ここまで気にならないし、誰かが原稿を考えたり手伝うことで子供たちが英語を話す機会につながるのであれば、それは素直に歓迎なんです。

 

でも、勝敗をつけるコンテストという場であるならば、やはり参加者全員が公平であるべきだと思わずにはいられません。